何《いか》なりしぞ。『嗚呼過てり』とは何より先に口を衝いて覺えず出でし意料無限の一語、襟元に雪水を浴びし如く、六尺の總身ぶる/\と震ひ上りて、胸轟き、息《いき》せはしく、『むゝ』とばかりに暫時《しばし》は空を睨んで無言の體《てい》。やがて眼《め》を閉ぢてつくづく過越方《すぎこしかた》を想ひ返せば、哀れにもつらかりし思ひの數々《かず/\》、さながら世を隔てたらん如く、今更|明《あ》かし暮らせし朝夕の如何にしてと驚かれぬる計り。夢かと思へば、現《うつ》せ身の陽炎《かげろふ》の影とも消えやらず、現《うつゝ》かと見れば、夢よりも尚ほ淡き此の春秋の經過、例へば永の病に本性を失ひし人の、やうやく我に還りしが如く、瀧口は只々恍惚として呆るゝばかりなり。
『嗚呼過てり/\、弓矢《ゆみや》の家に生《う》まれし身の、天晴《あつぱれ》功名手柄して、勇士の譽を後世に殘すこそ此世に於ける本懷なれ。何事ぞ、眞の武士の唇頭《くちびる》に上《の》ぼすも忌《いま》はしき一女子の色に迷うて、可惜《あたら》月日《つきひ》を夢現《ゆめうつゝ》の境に過《すご》さんとは。あはれ南無八幡大菩薩も照覽あれ、瀧口時頼が武士の魂の曇なき
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