見るべけれ。
 人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧口何處のはてまで辿りけん、夕とも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れならで知る人もなく、只々|門出《かどで》の勢ひに引きかへて、戻足《もどりあし》の打ち蕭《しお》れたる樣、さすがに遠路の勞《つかれ》とも思はれず。一月餘《ひとつきあまり》も過ぎて其年の春も暮れ、青葉の影に時鳥《ほとゝぎす》の初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝる有樣の悛《あらた》まる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬の稽古さえ自《おのづか》ら怠り勝になりて、胴丸《どうまる》に積もる埃《ほこり》の堆《うづたか》きに目もかけず、名に負へる鐵卷《くろがねまき》は高く長押《なげし》に掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫《すりざめ》の鞘卷《さやまき》指《さ》し添ヘたる立姿《たちすがた》は、若《も》し我ならざりせば一月前《ひとつきまへ》の時頼、唾も吐きかねざる華奢《きやしや》の風俗なりし。
 されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひ譏《そし》る人も漸く少くなりし頃、蝉聲《せみ》喧《かまびす》しき夏の暮にもなりけん。瀧口が顏愈々やつれ、頬肉は目立つまでに落ちて眉
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