然として眼を閉ぢしまゝ、衣の袖の搖《ゆる》ぎも見せず。『世を捨てし御邊が清き心には、今は昔の恨みとて殘らざるべけれ共、凡夫《ぼんぷ》の悲しさは、一度|犯《をか》せる惡事は善きにつけ惡しきにつけ、影の如く附き纏《まと》ひて、此の年月の心苦しさ、自業自得なれば誰れに向ひて憂を分たん術もなく、なせし罪に比べて只々我が苦しみの輕きを恨むのみ。喃《のう》、瀧口殿、最早《もは》や世に浮ぶ瀬もなき此身、今更|惜《を》しむべき譽もなければ、誰れに恥づべき名もあらず、重景が一|期《ご》の懺悔《ざんげ》聞き給へ。御邊《ごへん》の可惜《あたら》武士を捨てて世を遁《のが》れ給ひしも、扨は横笛が深草の里に果敢《はか》なき終りを遂《と》げたりしも、起りを糾せば皆《みな》此の重景が所業にて候ぞや』。瀧口は猶ほも默然として、聞いて驚く樣も見えず。重景は語を續けて、『事の始めはくだくだしければ言はず、何れ若氣《わかげ》の春の駒、止めても止まらぬ戀路をば行衞も知らず踏み迷うて、窶《やつ》す憂身《うきみ》も誰れ故とこそ思ひけめ。我が心の萬一も酌《く》みとらで、何處《どこ》までもつれなき横笛、冷泉と云へる知れる老女を懸橋に樣
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