、早く母に別れ、武骨一邊の父の膝下《ひざもと》に養はれしかば、朝夕|耳《みゝ》にせしものは名ある武士が先陣|拔懸《ぬけが》けの譽《ほまれ》れある功名談《こうみやうばなし》にあらざれば、弓箭甲冑の故實《こじつ》、髻垂《もとどりた》れし幼時より劒《つるぎ》の光、弦《ゆづる》の響の裡に人と爲りて、浮きたる世の雜事《ざれごと》は刀の柄《つか》の塵程も知らず、美田《みた》の源次が堀川《ほりかは》の功名に現《うつゝ》を拔《ぬ》かして赤樫《あかがし》の木太刀を振り舞はせし十二三の昔より、空肱撫《からひぢな》でて長劒の輕きを喞《かこ》つ二十三年の春の今日《けふ》まで、世に畏ろしきものを見ず、出入《いでい》る息を除《のぞ》きては、六尺の體《からだ》、何處を膽と分つべくも見えず、實に保平《ほうへい》の昔を其儘の六波羅武士の模型なりけり。然《さ》れば小松殿も時頼を末頼母《すゑたのも》しきものに思ひ、行末には御子維盛卿の附人《つきびと》になさばやと常々目を懸けられ、左衞門が伺候《しこう》の折々に『茂頼、其方《そち》は善き悴《せがれ》を持ちて仕合者《しあはせもの》ぞ』と仰せらるゝを、七十の老父、曲《まが》りし背
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