》、天下の望みを繋《つな》ぐ御身なれば、さすがの横紙《よこがみ》裂《やぶ》りける入道《にふだう》も心を痛め、此日|朝《あさ》まだき西八條より遙々《はる/″\》の見舞に、内府《ないふ》も暫く寢處《しんじよ》を出でて對面あり、半※[#「※」は「ひへん+向」、読みは「とき」、第3水準1−85−25、44−2」計《はんときばか》り經《へ》て還り去りしが、鬼の樣なる入道も稍々|涙含《なみだぐ》みてぞ見えにける。相隨ひし人々の、入道と共に還りし跡には、館《やかた》の中《うち》最《い》と靜にて、小松殿の側に侍《はんべ》るものは御子|維盛《これもり》卿と足助二郎重景のみ。維盛卿は父に向ひ、『先刻|祖父《そふ》禪門《ぜんもん》の御勸《おんすゝ》めありし宋朝渡來の醫師、聞くが如くんば世にも稀なる名手《めいしゆ》なるに、父上の拒《こば》み給ひしこそ心得ね』。訝《いぶかし》げに尋ぬるを、小松殿は打見やりて、はら/\と涙を流し、『形ある者は天命あり。三界の教主《けうしゆ》さへ、耆婆《きば》が藥にも及ばずして跋提河《ばつだいが》の涅槃《ねはん》に入り給ひき。佛體ならぬ重盛、まして唯ならぬ身の業繋《ごふけ》なれば、藥石如何でか治するを得べき。唯々父禪門の御身こそ痛ましけれ。位《くらゐ》人臣を極め、一門の榮華は何れの國、何れの代《よ》にも例《ためし》なく、齡六十に越え給へば、出離生死《しゆつりしやうじ》の御營《おんいとなみ》、無上菩提の願ひの外、何御不足《なにごふそく》のあれば、煩惱劫苦《ぼんなうごふく》の浮世に非道の權勢を貧り給ふ淺ましさ。如何に少將、此頃の御擧動《おんふるまひ》を何とか見つる、臣として君を押し籠《こ》め奉るさへあるに、下民の苦を顧みず、遷都の企ありと聞く。そもや平安三百年の都を離れて、何《いづ》こに平家の盛《さか》りあらん。父の非道を子として救ひ得ず、民の怨みを眼《ま》のあたり見る重盛が心苦《こゝろぐる》しさ。思ひ遣《や》れ少將』。
 維盛卿も、傍らに侍《じ》せる重景も首《かうべ》を垂れて默然《もくねん》たり。内府は病み疲れたる身を脇息《けふそく》に持たせて、少しく笑を含みて重景を見やり給ひ、『いかに二郎、保元《ほうげん》の弓勢《ゆんぜい》、平治《へいぢ》の太刀風《たちかぜ》、今も草木を靡《なび》かす力ありや。盛りと見ゆる世も何《いづ》れ衰ふる時はあり、末は濁りても涸《か》れぬ
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