源には、流れも何時《いつ》か清《す》まんずるぞ。言葉の旨《むね》を忖《はか》り得しか』。重景は愧《はづか》しげに首《かうべ》を俯《ふ》し、『如何でかは』と答へしまゝ、はか/″\しく應《いらへ》せず。
折から一人の青侍《あをざむらひ》廊下に手をつきて、『齋藤左衞門、只今御謁見を給はりたき旨願ひ候が、如何計らひ申さんや』と恐る/\申上ぐれば、小松殿、『是れへ連《つ》れ參れ』と言ふ。暫くして件の青侍に導かれ、緩端《えんばた》に平伏《へいふく》したる齋藤茂頼、齡七十に近けれども、猶ほ矍鑠《くわくしやく》として健《すこ》やかなる老武者《おいむしや》、右の鬢先より頬を掠《かす》めたる向疵《むかふきず》に、栗毛《くりげ》の琵琶股《びはもゝ》叩いて物語りし昔の武功忍ばれ、籠手《こて》摺《ずれ》に肉落ちて節《ふし》のみ高き太腕は、そも幾その人の首を切り落としけん。肩は山の如く張り、頭は雪の如く白し。『久しや左衞門』、小松殿|聲懸《こゑか》け給へば、左衞門は窪みし兩眼に涙を浮べ、『茂頼、此の老年に及び、一期の恥辱、不忠の大罪、御詫《おんわび》申さん爲め、御病體を驚かせ參らせて候』。小松殿|眉《まゆ》を顰め、『何事ぞ』と問ひ給えば、茂頼は無念の顏色にて、『愚息《ぐそく》時頼』、と言ひさして涙をはらはらと流せば、重景は傍らより膝を進め、『時頼殿に何事の候ひしぞ』。『遁世《とんせい》致して候』。
是はと驚く維盛・重景、仔細如何にと問ひ寄るを應《こたへ》も得せず、やうやく涙を拭《のご》ひ、『君が山なす久年《きうねん》の御恩に對し、一日の報效をも遂《と》げず、猥りに身を捨つる條、不忠とも不義とも言はん方なき愚息が不所存、茂頼|此期《このご》に及び、君に合はす面目も候はず』。言ひつゝ懷《ふところ》より取り出す一封の書、『言語に絶えたる亂心にも、君が御事忘れずや、不忠を重ぬる業《わざ》とも知らで、殘しありし此の一通、君の御名を染めたれば、捨てんにも處なく、餘儀なく此《こゝ》に』と差上ぐるを、小松殿は取上げて、『こは予に殘せる時頼が陳情《ちんじやう》よな』と言ひつゝ繰りひろげ、つく/″\讀み了りて歎息し給い、『あゝ我れのみの浮世にてはなかりしか。――時頼ほどの武士《ものゝふ》も物の哀れに向はん刃《やいば》なしと見ゆるぞ。左衞門、今は嘆きても及ばぬ事、予に於いて聊か憾みなし。禍福はあざなえる繩の如く
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