ご》の頼みなるぞ』。
『そは時頼の分《ぶん》に過ぎたる仰せにて候ぞや。現在|足助《あすけ》二郎重景など屈竟《くつきやう》の人々、少將殿の扈從《こしよう》には候はずや。若年未熟《じやくねんみじゆく》の時頼、人に勝《まさ》りし何の能《のう》ありて斯かる大任を御受け申すべき』。
『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平に狎《な》れて衣紋裝束《えもんしやうぞく》に外見《みえ》を飾れども、誠《まこと》武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流に荒《すさ》める重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只々彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が扈從《こしよう》となせしのみ。繰言《くりごと》ながら維盛が事頼むは其方一人。少將|事《こと》あるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。
 思ひ入りたる小松殿の御氣色《みけしき》、物の哀れを含めたる、心ありげの語《ことば》の端々《はし/″\》も、餘りの忝なさに思ひ紛れて只々感涙に咽《むせ》ぶのみ。風にあらで小忌《をみ》の衣《ころも》に漣立《さゞなみた》ち、持ち給へる珠數震ひ搖《ゆら》ぎてさら/\と音するに瀧口|首《かうべ》を擡《もた》げて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面を背《そむ》けて、御袖の唐草《からくさ》に徒《たゞ》ならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは一入《ひとしほ》深し。夜も更《ふ》け行きて、何時《いつ》しか簾《みす》を漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。
 蟲の音《ね》亙《わた》りて月高く、いづれも哀れは秋の夕、憂《う》しとても逃《のが》れん術《すべ》なき己《おの》が影を踏みながら、腕叉《うでこまぬ》きて小松殿の門《かど》を立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、布衣《ほい》の袖重げに見え、足の運《はこび》さながら醉へるが如し。今更《いまさら》思ひ決《さだ》めし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙に塞《ふさが》りて、月の光も朧《おぼろ》なり。武士の名殘も今宵《こよひ》を限り、餘所《よそ》ながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。御仰《おんおほせ
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