吾等を尻目に懸けて輕薄武士と言はぬ計りの顏、今更|何處《どこ》に下げて吾等に對《むか》ひ得るなど、後指《うしろゆび》さして嘲り笑ふものあれども、瀧口少しも意に介せざるが如く、應對等は常の如く振舞ひけり。されど自慢の頬鬢|掻撫《かいな》づる隙《ひま》もなく、青黛の跡絶えず鮮かにして、萌黄《もえぎ》の狩衣《かりぎぬ》に摺皮《すりかは》の藺草履《ゐざうり》など、よろづ派手やかなる出立《いでたち》は人目に夫《それ》と紛《まが》うべくもあらず。顏容《かほかたち》さへ稍々|窶《やつ》れて、起居《たちゐ》も懶《ものう》きがごとく見ゆれども、人に向つて氣色《きしよく》の勝《すぐ》れざるを喞ちし事もなく、偶々《たま/\》病などなきやと問ふ人あれば、却つて意外の面地《おももち》して、常にも増して健かなりと答へけり。
皆是れ戀の業《わざ》なりとは、哀れや時頼未だ夢にも心づかず、我ともなく人ともあらで只々思ひ煩へるのみ。思ひ煩へる事さへも心自ら知らず、例へば夢の中に伏床《ふしど》を拔け出でて終夜出《よもすがらやま》の巓《いたゞき》、水の涯《ほとり》を迷ひつくしたらん人こそ、さながら瀧口が今の有樣に似たりとも見るべけれ。
人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧口何處のはてまで辿りけん、夕とも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れならで知る人もなく、只々|門出《かどで》の勢ひに引きかへて、戻足《もどりあし》の打ち蕭《しお》れたる樣、さすがに遠路の勞《つかれ》とも思はれず。一月餘《ひとつきあまり》も過ぎて其年の春も暮れ、青葉の影に時鳥《ほとゝぎす》の初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝる有樣の悛《あらた》まる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬の稽古さえ自《おのづか》ら怠り勝になりて、胴丸《どうまる》に積もる埃《ほこり》の堆《うづたか》きに目もかけず、名に負へる鐵卷《くろがねまき》は高く長押《なげし》に掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫《すりざめ》の鞘卷《さやまき》指《さ》し添ヘたる立姿《たちすがた》は、若《も》し我ならざりせば一月前《ひとつきまへ》の時頼、唾も吐きかねざる華奢《きやしや》の風俗なりし。
されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひ譏《そし》る人も漸く少くなりし頃、蝉聲《せみ》喧《かまびす》しき夏の暮にもなりけん。瀧口が顏愈々やつれ、頬肉は目立つまでに落ちて眉
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