頼は自《おのづ》から儕輩《ひと/″\》に疎《うとん》ぜられ、瀧口時頼とは武骨者の異名《いみやう》よなど嘲り合ひて、時流外《なみはづ》れに粗大なる布衣を着て鐵卷《くろがねまき》の丸鞘を鴎尻《かもめじり》に横《よこた》へし後姿《うしろすがた》を、蔭にて指《ゆびさ》し笑ふ者も少からざりし。

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 西八條の花見の宴に時頼も連《つらな》りけり。其夜|更闌《かうた》けて家に歸り、其の翌朝は常に似ず朝日影|窓《まど》に差込む頃やうやく臥床《ふしど》を出でしが、顏の色少しく蒼味《あをみ》を帶びたり、終夜《よもすがら》眠らでありしにや。
 此夜、御所の溝端に人跡絶えしころ、中宮の御殿の前に月を負ひて歩むは、紛《まが》ふ方なく先の夜に老女を捉へて横笛が名を尋ねし武士なり。物思はしげに御門の邊を行きつ戻りつ、月の光に振向ける顏見れば、まさしく齋藤瀧口時頼なりけり。

   第四

 物の哀れも是れよりぞ知る、戀ほど世に怪しきものはあらじ。稽古の窓に向つて三諦止觀《さんたいしくわん》の月を樂める身も、一|朝《てう》折りかへす花染《はなぞめ》の香《か》に幾年《いくとせ》の行業《かうげふ》を捨てし人、百夜《もゝよ》の榻《しぢ》の端書《はしがき》につれなき君を怨みわびて、亂れ苦《くるし》き忍草《しのぶぐさ》の露と消えにし人、さては相見ての後のたゞちの短きに、戀ひ悲みし永の月日を恨みて三|衣《え》一|鉢《ぱつ》に空《あだ》なる情《なさけ》を觀ぜし人、惟《おも》へば孰《いづ》れか戀の奴《やつこ》に非ざるべき。戀や、秋萩《あきはぎ》の葉末《はずゑ》に置ける露のごと、空《あだ》なれども、中に寫せる月影は圓《まどか》なる望とも見られぬべく、今の憂身《うきみ》をつらしと喞《かこ》てども、戀せぬ前の越方《こしかた》は何を樂みに暮らしけんと思へば、涙は此身の命なりけり。夕旦《ゆふべあした》の鐘の聲も餘所《よそ》ならぬ哀れに響く今日《けふ》は、過ぎし春秋《はるあき》の今更《いまさら》心なきに驚かれ、鳥の聲、蟲の音《ね》にも心|何《なに》となう動きて、我にもあらで情《なさけ》の外に行末もなし。戀せる今を迷《まよひ》と觀れば、悟れる昔の慕ふべくも思はれず、悟れる今を戀と觀れば、昔の迷こそ中々に樂しけれ。戀ほど世に訝《いぶか》しきものはあ
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