恨み、果《はた》さるべき日は遂《つひ》に來《きた》りぬ。こぞの秋、われ思はずも病にかゝりて東海のほとりにさすらひ、こゝに身を清見潟の山水に寄せて、晴夜《せいや》の鐘に多年のおもひをのべむとす。ああ思ひきや、西土《せいど》はるかに征《ゆ》くべかりし身の、こゝに病躯《びやうく》を故山にとゞめて山河の契りをはたさむとは。奇《く》しくもあざなはれたるわが運命《うんめい》かな。
鐘の音はわがおもひを追うて幾たびかひゞきぬ。
うるはしきかな、山や水や、僞《いつは》りなく、そねみなく、憎《にく》みなく、爭《あらそ》ひなし。人は生死のちまたに迷ひ、世は興亡《こうばう》のわだちを廻《めぐ》る。山や、水や、かはるところなきなり。おもへば恥《はづ》かしきわが身かな。こゝに恨みある身の病を養へばとて、千年《ちとせ》の齡《よはひ》、もとより保つべくもあらず、やがて哀れは夢のたゞちに消えて知る人もなき枯骨《ここつ》となりはてなむず。われは薄倖兒《はくかうじ》、數《かず》ならぬ身の世にながらへてまた何《なに》の爲《な》すところぞ。さるに、をしむまじき命のなほ捨てがてに、ここに漂浪の旦暮をかさぬるこそ、おろかにも
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