地の律呂《りつりよ》か、自然の呼吸《こきふ》か、隱《いん》としていためるところあるが如し。想へばわづらひはわが上のみにはあらざりけるよ。あやしきかな、わが胸は鐘のひゞきと共にあへぐが如く波うちぬ。
おもひにたへで、われは戸をおしあけて磯ちかく歩みよりぬ。十日あまりの月あかき夜半なりき。三保《みほ》の入江にけぶり立ち、有渡《うど》の山かげおぼろにして見えわかず、袖師《そでし》、清水の長汀《ちやうてい》夢の如くかすみたり。世にもうるはしきけしきかな。われは磯邊《いそべ》の石に打ちよりてこしかた遠く思ひかへしぬ。
おもへば、はや六歳《むとせ》のむかしとなりぬ、われ身にわづらひありて、しばらく此地に客《かく》たりき。清見寺の鐘の音に送り迎へられし夕べあしたの幾《いく》そたび、三保の松原になきあかしゝ月あかき一夜は、げに見はてぬ夢の恨めしきふし多かりき。
六とせは流水の如く去りて、人は春ごとに老いぬ。清見潟《きよみがた》の風光むかしながらにして幾度となく夜半の夢に入れど、身世怱忙《しんせいそうばう》として俄《にはか》に風騷《ふうさう》の客たり難《がた》し。われ常にこれを恨みとしき。
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