一葉女史の「たけくらべ」を讀みて
高山樗牛

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)辛《やうや》く

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)指《サス》ヶ|谷《ヤ》

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(例)[#地から1字上げ](明治二十九年五月)
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 本郷臺を指《サス》ヶ|谷《ヤ》かけて下りける時、丸山新町と云へるを通りたることありしが、一葉女史がかゝる町の中に住まむとは、告ぐる人三たりありて吾等|辛《やうや》く首肯《うなづ》きぬ。やがて「濁り江」を讀み、「十三夜」を讀み、「わかれみち」を讀みもてゆく中に、先の「丸山新町」を思ひ出して、一葉女史をたゞ人ならず驚きぬ。是の時「めざまし草」の鴎外と、なにがし等との間に、詩人と閲歴の爭ありしが、吾等は耳をば傾けざりき。
 一葉女史の非凡なることを、われ等「たけくらべ」を讀みてますます確めぬ。丸山新町に住むことに於て非凡なることも、又小説家として其の手腕の非凡なることも。
 まことや「たけくらべ」の一篇は、たしかに女史が傑作中の一なるべき也。
 吾等の是の篇を推す所以の一は、其の女主人公の性格の洵に美はしく描かれたるにあり。姉なる人は、憂き川竹の賤しき勤め、身賣りの當時、めきゝに來りし樓の主が誘ひにまかせ、養女にては素より、親戚にては猶更なき身の、あはれ無垢《むく》なる少女の生活を穢土《ゑど》にくらし過ごすことの何とも心往かず、田舍より出でし初め、藤色絞りの半襟を袷にかけ着て歩るきしを、田舍もの田舍ものと笑はれしを口惜しがりて、三日三夜泣きつゞけし美登利《みどり》。男の弱き肩持ちて、十四五人の喧嘩相手を、此處は私が遊び處、お前がたに指でもさゝしはせぬ、と物の見事にはねつけし美登利。額にむさきもの投げつけられしくやしさに、親でさへ額に手はあげぬものを長吉づれが草履の泥を額に塗られては踏まれたも同じこと、と好きな學校まで不機嫌に休みし美登利。我は女、とても敵ひがたき弱味をば付け目にして、と祭の夜の卑怯の處置《しうち》を憤り、姉の全盛を笠に着て、表一町の意地敵に楯つき、大黒屋の美登利、紙一枚のお世話にも預らぬものを、あのやうに乞食呼ばはりして貰ふ恩は無し、と我儘の本性、侮られしが口惜しさに、石筆を折り、墨を捨て、書物も十露盤も要《い》らぬものに、中よき友と埓も無く遊びし
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