置いて色々なことを試みさせて見ましたが、彫ることには心がないのではありませんから、なかなか満更《まんざら》ではありません。或る時は私の作の狆《ちん》を手本にして、伊豆から出る沢田石で模刻させて見ると、どうやらこなして行きます。石にして見るとまた格別なもので、石の味が出て来ておもしろい所があって、前に雲海氏の衣川の役の作が安田家に買われた縁故などもあって、この石の狆は、安田家に買われ、新宅のバルコニイの四所の柱の所へ置き物にするというので四つ拵《こしら》えて納めたりしました。
こんなことから、美術学校にも石の部を設けたらどうかという話などが出て、岡倉校長も賛成して、俵氏に標本を作らせて、石を生徒にやらせたりしました。
光石氏の石の作としては、平尾賛平氏の谷中の菩提所《ぼだいしょ》の石碑の製作があります。これは墓石のことで少し仕事が別にはなりますが、仕事は花崗石《みかげ》で手磨きにして、墓石は別に奇を好まず、形は角で真《ま》じめな形ですが、台石の周囲などに光石君の石彫としての腕が現われております。私の弟子の中に石彫家のあるのはこの人だけです。今は北条に帰って活動しております。
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