合う仕事はないものかなど私はいいますと、重吉は、「あの臭気《におい》を嗅がない仕事なら何んでもします。もう二度と花川戸へ帰る気もしません」といっている。その容子《ようす》はいかにも愍然《びんぜん》でありました。
「では、私の家へ来てはどうかね」
といいますと、本人は大いによろこび、「どうか、そういうことに願えますなら何よりのことですが、私は兄貴のように年季を入れて彫り物の稽古をしたわけでもありませんから……」と心細がりますが、「何、これからでも、励めば一人前にはなれよう。しかし、花川戸の方をよく片をつけてから、来るようにしたがよかろう」といって帰りました。それで重吉は間もなく私の内弟子となったのでありました。
 重吉は後に光重といって一人前になってから、妻を娶《めと》りましたが、この妻女は当時仲御徒町に住まっていた洋画の先生で川上|冬崖《とうがい》氏の孫娘《まご》でした(川上未亡人の家作に美雲の親が住んでいたので、その知り合いから、娘を美雲の弟の重吉にもらったのです。で、冬崖氏の孫の川上邦世氏とは義理の兄弟になるはずです)。
 以上の四人は私の西町時代の困難盛りの時の弟子で最も古い人で
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