合う仕事はないものかなど私はいいますと、重吉は、「あの臭気《におい》を嗅がない仕事なら何んでもします。もう二度と花川戸へ帰る気もしません」といっている。その容子《ようす》はいかにも愍然《びんぜん》でありました。
「では、私の家へ来てはどうかね」
といいますと、本人は大いによろこび、「どうか、そういうことに願えますなら何よりのことですが、私は兄貴のように年季を入れて彫り物の稽古をしたわけでもありませんから……」と心細がりますが、「何、これからでも、励めば一人前にはなれよう。しかし、花川戸の方をよく片をつけてから、来るようにしたがよかろう」といって帰りました。それで重吉は間もなく私の内弟子となったのでありました。
重吉は後に光重といって一人前になってから、妻を娶《めと》りましたが、この妻女は当時仲御徒町に住まっていた洋画の先生で川上|冬崖《とうがい》氏の孫娘《まご》でした(川上未亡人の家作に美雲の親が住んでいたので、その知り合いから、娘を美雲の弟の重吉にもらったのです。で、冬崖氏の孫の川上邦世氏とは義理の兄弟になるはずです)。
以上の四人は私の西町時代の困難盛りの時の弟子で最も古い人でありました。
この重吉は今は竹中光重といいます。誠に正直|一途《いちず》の人で、或る日、本郷|春日町《かすがちょう》停留場の近所で金を拾い直ぐさま派出所へ届け、落とし主も解りその内より何分《いくら》か礼金を出した所、本人は何といっても請け取らないので、先方《むこう》の人もその意《こころ》ざしに感心して観音の彫刻を依頼されました。その後も種々頼まれたそうです。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月30日作成
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