は後藤君は酉年ではなくて、戌年《いぬどし》であったのでした。
さて、その後、平尾賛平氏が、後藤さんの大切にしている右の不動さまを見たのでありました(平尾氏と後藤氏とは、どういう縁故か知りませんが、ずっと前から親しい間柄であったのです)。すると、平尾さんが大変|惚《ほ》れ込み、どうか、これを譲ってくれといいました。しかし、後藤君は、実はこの不動だけはお譲り出来ない。その訳はかくかくと私と後藤君との間の約束のことを平尾氏に打ち明けました。
すると、平尾さんは、
「なるほど、もっともの話だが、高村さんが君になくなさないようにといった意味は、行処《ありか》が分らなくなることを恐れたためだろう。君のところにあるも、私のところにあるも、在《あ》り所がわかっていれば同じことではないか。君が師匠同様の人の言葉を背《そむ》くのが気が済まないなら、一つ高村さんから君が許しを受けてくれたまえ。そうして是非僕に譲ってくれたまえ」というので、後藤君も詮方《せんかた》なく私に右の趣を話して「どうしたものでしょう」との話でした。
「それは呈《や》りなさい。行処が分っていれば好いじゃないか。それに、平尾さんの処
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