の家作でなければいけないというのでした。で、いろいろ探して四ヶ所候補地を見附けたのでした。
平尾さんの方から人が来て、いよいよ家が四ヶ所見当りました。御多忙中ですが、明朝、主人もその家を見に参りますから、あなたも御一緒にお出でを願って決定して頂きたいと主人からのお報《しら》せですということ。私は、その翌朝、打ち合せて置いた団子坂下《だんござかした》のやぶ蕎麦《そば》で平尾さんに落ち合い、此所《ここ》で初めて平尾氏に面会したのであった。
「家が四軒見当りました。どれでも一ヶ所を見立てて下さい。後々のことも決しておひま[#「ひま」に傍点]はつぶさせません。登記万端のことなど店のものにいい附けますから」
というような至極自由な話、私もこれならば気安いと思いました。
その家というのは、一軒は本郷《ほんごう》駒込《こまごめ》です。薬種の取引関係から平尾家へ出入りをしていた藤井という医師があったが、その人の兄の藤井諸照という人の持ち家……これが一つ。それから、もう一ヶ所は谷中《やなか》で、団子坂を降りると石橋がある。その側に地面四百坪に家作の附いたところ。も一つは、善光寺坂の上で、大河内《お
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