の家作でなければいけないというのでした。で、いろいろ探して四ヶ所候補地を見附けたのでした。
平尾さんの方から人が来て、いよいよ家が四ヶ所見当りました。御多忙中ですが、明朝、主人もその家を見に参りますから、あなたも御一緒にお出でを願って決定して頂きたいと主人からのお報《しら》せですということ。私は、その翌朝、打ち合せて置いた団子坂下《だんござかした》のやぶ蕎麦《そば》で平尾さんに落ち合い、此所《ここ》で初めて平尾氏に面会したのであった。
「家が四軒見当りました。どれでも一ヶ所を見立てて下さい。後々のことも決しておひま[#「ひま」に傍点]はつぶさせません。登記万端のことなど店のものにいい附けますから」
というような至極自由な話、私もこれならば気安いと思いました。
その家というのは、一軒は本郷《ほんごう》駒込《こまごめ》です。薬種の取引関係から平尾家へ出入りをしていた藤井という医師があったが、その人の兄の藤井諸照という人の持ち家……これが一つ。それから、もう一ヶ所は谷中《やなか》で、団子坂を降りると石橋がある。その側に地面四百坪に家作の附いたところ。も一つは、善光寺坂の上で、大河内《おおこうち》の邸の上、一方が藪《やぶ》であった。此所も四百坪ほどの地面と表通りに貸長屋《かしながや》が数軒附いていた。もう一つは本郷|千駄木《せんだぎ》町であった。
そこで、私は平尾さんと一緒に出掛け、まず善光寺坂の家を見ました。平尾さんは、この家が気に入って、「どうです。此所にしたら。地所も相当広し、家も手入れをすれば住まえる。此所に決めたら好いでしょう」といいましたが、私はどうも此所は気に入りませんでした。附いている貸長屋があって、月々家賃を取るのだというのが、第一|嫌《いや》でした。家持ちになるのは好いが、貸家をして家賃など取り立てるのはそれこそ大変と思いましたので、これはお断わりしました。
それから千駄木町と団子坂とを見ましたが、いずれも気に入りません。
最後の駒込林町を見ようというので、団子坂を登って右に折れて、林町の裏通りの細い道を這入りまして、一丁目ほど行くと右側に茅葺《かやぶき》屋根の門がある。はてな。この家は去年の春、盆栽の陳列会があって、石川光明氏と一緒に見物に来た時会場になった家で、茅葺屋根の田舎造りで何んだか気に入った家であったがと思ってると、不思議なことに
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