はそのかやぶき屋根の家へ平尾さんが先に立って這入りました。
はてな。この家がそうなのかしらと思って妙な気がしました。
かやぶき家根の門を這入ると、右手は梅林、左手が孟宗藪《もうそうやぶ》。折から秋のことで庭は紅葉し、落葉が飛石などを埋《うず》めている。その中に茅葺屋根が小さく見え、いかにも山の中に隠士でも棲《す》んでいそうな処です。上へあがってからも、石川さんと来たことがあるので、見覚えがあり、間取りなども悪くなく、甚《はなは》だ気に入りました。
「この家なら私は気に入りました」
私は平尾さんにこういいますと、
「妙な家が好きですね。随分引っ込み過ぎて不便なことじゃありませんか。……しかし、なるほど、あなたの好きそうな家ですね。それに此所なら私の家へ出入りをしている医師の兄の藤井という人の持ち家だから、取引にも面倒がなくて結構、では此所に決めましょう」ということで早速話が決まりました。
地所が二百六十坪ほど、家ぐるみ、七百十五円で登記が済みました。
この家は藤井という人が悴《せがれ》同様にしている人のために住宅として買って置いた家であったが、その人が洋行をしているので、一時不用になり売っても好いというのであった。もっと高かったのを平尾さんとの知り合いのために負けて七百十五円としたということでした。
いよいよ家の登記は済みましたが、手入れをしたり、また七畳の隠居所のような坐敷があるが、これは私の仕事部屋に使うことにして、地所内に別に父の這入る隠居所を建てました。それが百五十円。母家《おもや》の方は九畳の坐敷に八畳の中《なか》の間《ま》、六畳の居間、ほかに二畳と三畳と台所、それに今の隠居所でした。
父も這入る前に一度見に来まして大変気に入りました。当時住まっていた谷中町の家も気に入ってはいたが、今度は自分たちの持ち家となることで、一層閑静なことや、水の好いことや、茅葺の風流なことや、庭が広く寂《さ》びていることなど、好いとなると一々気に入りました。隠居所も出来たことでいよいよ十一月の幾日であったか谷中を引っ越しこれへ移りました。藤井という人もなかなか風流な人で、私が移る日に床《とこ》の間《ま》に一行物《いちぎょうもの》を掛け、香を焚《た》いて花までさしてありました。これは今でも忘れません。よい心持でした。その後も藤井氏はこの辺へお出での時はお寄りになり
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