十銭、ということです。老人は大変気に入っていられる。
それで、私もこれは好《い》いと思い、早速行って見ますと、なるほど、これは格好、往来に向いて出格子《でごうし》の窓などがあり、茶屋町の裏町になった横丁だが四方も物静かで、父の申す如く彫刻家が住むにはいかにも誂《あつら》え向きという家ですから、早速話を決めました。
その頃のことで、別に敷金を取るでもなく、大屋さんへちょっと手土産《てみやげ》をする位で何んの面倒もなく引き移りました。
さて、段々と住んでいると、どうも普通の素人《しろうと》の住まった家とは趣が異《ちが》う。いきなり、客間があったり仕事部屋があったりする処は妙だと、近所の人に聞いて見ると、これまでは牙彫師の鵜沢柳月《うざわりゅうげつ》という人が住んでいたのだということでした。
この人は先に彫工会の成り立ちの処で話しました谷中派の方の親方株の牙彫師で、弟子の三、四人も置いてなかなか盛んにやっていた人である。庭のお稲荷さんもその人がこしらえたものということ……それで、妙だと思った仕事場のことなども分りました(この家の持ち主は御徒町の料理店|伊予紋《いよもん》であった)。
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