きました。
それでもなかなか格好な家が見当らないと見えて幾日か過ぎましたが、或る日、父は、「今日こそ好い家を見附けた」といってその模様を話されるところを聞くと、その家は学校へ三丁位、土地が高燥《こうそう》で、至って閑静で、第一水が良い。いかにも彫刻家の住居《すまい》らしい所という。それは何処ですと聞くと、谷中《やなか》天王寺《てんのうじ》の手前の谷中谷中町三十七という所で、五重塔の方へ行こうとする通りに大きな石屋があるが、その横丁を曲って、石屋の地尻《じじり》で、門構えの家。玄関を這入《はい》ると二畳で、六畳の客間があり居間《いま》が六畳、それに四畳半の小部屋《こべや》が附いている上に、不思議なことには直ぐ部屋続きに八畳敷き位の仕事場とも思われる部屋がある。その部屋は南向きで日当りがよく、お隣りは宝珠院《ほうじゅいん》というお寺の庭に接しているから、充分ゆとりもあり、庭はまたお寺の地所十四、五坪を取り入れてなかなか広く、お稲荷《いなり》さんの祠《ほこら》などあってなかなか異《おつ》だということです。それで家賃はというと、四円……別にお寺へ納める庭の十四、五坪の地代が五十銭、都合四円五
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