になってお出でで御座いました。
 そして、陛下には、いろいろこの彫刻の急所々々を御下問になるので、岡倉校長は、一々お答えを申し上げたが、実に御下問の条々が理に叶《かな》って尋常のお尋ねではないので、岡倉校長は恐懼《きょうく》致されたと、後に承ったことで御座いました。私たちも馬の直ぐ近くに整列致しておりますので、お尋ねの御言葉は能《よ》く聞き取れました。この楠公馬上の像は楠公がどうしている所の図かとのお尋ねがあった時、岡倉校長は、これは楠公の生涯において最も時を得ました折のことにて、金剛山の重囲を破って兵庫に出で、隠岐より還御あらせられたる天皇を御道筋にて御迎え申し上げている所で御座いますと奉答をされたよう承りました。なお、聖上にはこの像は、木の材を纏《まと》めて製作したものか、学校の教員たちが力を協《あわ》せて作ったものか、などいろいろ立ち入って御下問があったとの事で、御答えを申すには、実にゆるがせでなく恐れ入ったということをこれまた校長から後に承りました。
 聖上御覧の間は、私は責任が重いものでありますから非常に心配をしました。御覧済みとなって御入御《ごにゅうぎょ》になった時はほっと
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