込んで来たのであった。
それで、どういうものを製作するかということについては、私は与《あずか》り知りませんでしたが、いろいろ撰定の結果楠公の像を作るということに決定しました。楠氏は申すまでもなく我邦《わがくに》有史以来の忠臣、宮内省へ献納する製作の主題としてはまことに当を得たものでありましょう。ところで忠臣楠氏の銅像ということに決まったが、どういう形にして好《い》いか、ただ、立っているとか、坐《すわ》っているとかでは見たてがないので、楠公馬上の図ということに決まりました。それで、この馬上の図をば、一個人の考案でなく、学校内の教員生徒を通じて広く人々の図案を募集することになりましたので、その募りに応じた図案が余り沢山ではなかったがかなり集まりました。その中で当選したのが岡倉秋水氏の図案であった(秋水氏は第一期優等の卒業生)。まずこの当選の図案を基として楠公像を作るということになったのでありますが、右図案は、楠公馬上の側面図でありますから、これが全身|丸《まる》で彫刻製作されるとなると、原図案とはまた異《かわ》ったものとなることであるが、概《おおむ》ねこの原図によったものでありました。
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