事はまことに測り知りがたく不仕合わせな時もあり、また時が過ぐればその不仕合わせがかえって幸福ともなる。まことに妙なものであると思うことであります。
それから、今日においても別に何んのお役に立ったこともありませんが、今日も引き続き帝室技芸員として恩典にあずかっているのであります。心ばかりは、何かと斯道《しどう》のために尽くしたいものであると思いおる次第であります。ついでながら今日の帝室技芸員で在京の人々の顔触れをいって置きましょう。明治二十三年に初めてこの名称が出来て以来、欠員があると入り代り立ち代り、いろいろの人が撰抜されまして、今日では確か十五名あると思います。東京に十名京都に五名と思いますが、東京の十名は、日本画では、河合玉堂《かわいぎょくどう》、小堀鞆音《こぼりともと》、下村観山、西洋画では黒田清輝《くろだせいき》、彫刻では私と新海竹太郎《しんかいたけたろう》、刀剣では宮本|包則《かねのり》、蒔絵《まきえ》では白山松哉、写真では小川一真《おがわいっしん》、建築では佐々木岩次郎の諸氏であります。
それから明治二十二年十二月に第三回内国勧業博覧会の審査員を命ぜられました。これも
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