度の奈良京都見物は、生まれて初めての事で、かねてから見たい希望もあったことで、大変ためになり、また熱心に見たことでありました。その後古社寺保存会の用件で、私は幾度奈良京都に出張したか知れませんが、この初旅《はつたび》の時が一番正直に見て来ております。いろいろその時にスケッチなどしたものが今日も残っておって、それを見ると、なかなか熱心に見たということが分りますが、すべて物は一番|初手《しょて》に見たことが一番深く頭に残っているものと思われます。
当時の古美術に対しての印象などについては他日一纏めとして話して置きたいと思いますが、まず、在来、人が評判しておったいろいろなものについては私の考えもほぼ同じことでありますが、奈良では、余り当時人がかれこれいわなかったあの法隆寺の仁王《におう》さんは私は一見して結構だと思いました。これは和銅年間に出来たもので、立派なものであります。法隆寺の仁王は、あれは化物《ばけもの》だなどいって人がくさ[#「くさ」に傍点]したけれども、私は、そうは思わず感心しました。南大門の仁王は鎌倉時代のものでこの方が世間の評判が高いが、法隆寺の仁王の方も実に立派であると、
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