帰って来てから岡倉氏へ報告をしたことであったが、氏も意を得たようにいっておられました。
 他のものは大概《あらまし》批評の標準が立っていて、特に私が見出《みいだ》すまでもないことで、奈良の新薬師寺の薬師|如来《にょらい》など木彫りとして結構なものの中でも特に優《すぐ》れていると思って見たことであった。わずか十日間の見物でありましたが、彫刻家としての私には得る所が多大でありました。
 明治二十七年、第一回の美術学校卒業生は、いずれも今日美術界の重鎮となっており、また二回、三回と続いて優技者の続出した事は美術学校の誇りであると思います。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.j
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング