生まれてから江戸の土地を離れたことがないので、今度こうして長旅をすることになったので、いろいろ旅ということについておかしい話もありますが、それは略するとして、とにかく、今度の旅行は、美術学校の教官として実地見学に出向くのでありますから、学校の正服《ふく》を着けて参らねばならない。これが始末が悪いので閉口しました。
それから、今日《こんにち》思い出しても、当時の物の安かったことが分りますが、奈良では対山楼といえば一流の旅館ですが、其所《そこ》に泊まって一泊の宿料が四十五銭であった(夜食と朝食附き)。また京都では麩屋《ふや》町の俵屋《たわらや》に泊まった。これは沢文の本家見たいな家で、これも一流の宿屋ですが、その宿料が五十銭であった。ちょっと人力車《くるま》に乗っても、三銭とか五銭とかいう位で、十銭というのはよほど遠道であった。万事がこんな風でありましたから、十日間に百六十余円を使うのは骨が折れましたが、私は旅費として官から給されたものは、全部使ってしまわねばならないものだと思って気ぜわしないことであった。同行の結城氏は物馴れていて、こういう時に旅費は残すものだと話された。
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