ら取り返しもつかぬ。しかし、野見さん父子はさっぱりしたもので、これが興業ものにはありがちのことで、一向悔やむには当りません。いずれ、秋口《あきぐち》になって、そろそろ涼風《すずかぜ》の吹く時分一景気附けましょう。といって気には止めませんが、私はじめ、高橋、田中両氏も何んとか景気を輓回《ばんかい》したいものと考えている中に残暑が来て佐竹の原は焼け附く暑さで、見世物どころの騒ぎではなくなりました。
「もっと早く、花の咲いた時分、これが出来上がっていたら、それこそ一月で元手ぐらいは取れたんだが、少し考えが遅蒔《おそまき》だった。惜しいことをした」
など、私たちは愚痴交りに話していますが、野見さんの方は、秋口というもう一つの季節を楽しみにして、ここを踏ん張ろうという肚《はら》もあるのですから、愚痴などは一つもいわず、涼風の吹いて来るのを俟《ま》っておりました。
楽しみにしていた秋口の時候に掛かって来ました。
ここらを口切りに再び大仏で一花返り花を咲かそうという時は、もう九月になっており、中の五日となりました。
この日は本所《ほんじょ》では牛の御前の祭礼、神田《かんだ》日本橋《にほんばし
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