幕末維新懐古談
佐竹の原へ大仏を拵えたはなし
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鉄筆《てっぴつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)胎内|潜《くぐ》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しほん[#「しほん」に傍点]
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私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。この人は前にも話しました通り高橋鳳雲の息子さんで、その頃は鉄筆《てっぴつ》で筒《つつ》を刻《ほ》って職業としていました。上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島《ゆしま》の男坂《おとこざか》の方へ曲って中ほど(今は黒門町《くろもんちょう》か)に住んでいました。この人が常に私の宅へ遊びに来ている。それから、もう一人田中増次郎という蒔絵師がありました。これは男坂寄りの方に住んでいる。何処《どこ》となく顔の容子が狐に似ているとかで、こんこんさんと綽名《あだな》をされた人で、変り者でありましたがこの人も定次郎氏と一緒に朝夕遊びに来ていました。お互いに職業は違いますが、共に仕事には熱心で話もよく合いました。ところで、もう一人、やはり高橋氏の隣りに住んで
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