うにやってくれ」というので指図《さしず》をした。
膝や肩の丸味は三角の所へ弓をやって形を作り、印を結んだ手は片面で、四分板《しぶいた》を切り抜いて、細丸太を切って小口《こぐち》から二つ割りにして指の形を作る。鼻の三角も両方から板でせって鼻筋を拵え小鼻は丸太でふくらみをこしらえる……という風に、一々仏の形のきまり[#「きまり」に傍点]を大握《おおつか》みに掴《つか》んで拵えて行かせるのですが、兄貴の大工さんも、差《さ》し金《がね》を持って見込みの仕事をするのなら何んでも出来るが、こんな突飛《とっぴ》な大仕掛けな荒仕事となると一向見当が附きません。仕事師の方も普通の小屋掛けの仕事と違って、大仏の形に型取った一つの建物の骨を作るのですから、当って見ると漠然《ばくぜん》として手が出ません。此所《ここ》をこうといい附けても間に合わないという風で、私は大いに困りましたが困ったあげく、芝居の道具|方《かた》の仕事をやっている或る大工を伴《つ》れて来て、これにやらせて見ますと、なかなか気が利《き》いていて役に立ちます。私はこの大工を先に立てて仕事を急ぎました。
それで、私はよすどころでなく毎日仕事場へ行かねばならなくなった訳であります。が、毎日高い足場へ上って仕事師、大工たちの中へ這入って仕事をしていますと、なかなかおもしろい。面白半分が手伝って本気で汗水を流して働くようになりました。今日では思いも寄らぬことですが、まだ歳《とし》も若し、気も旺《さか》んであるから、高い足場へ上って、差図《さしず》をしたり、竹と丸太を色々に用いて頤《あご》などの丸味や、胸などのふくらみを拵えておりますと、狭い仕事場で小仏を小刀の先で弄《いじ》っているとはまた格別の相違……青天井の際限もない広大な野天の仕事場で、拵えるものは五丈近い大きなもの、陽気はよし、誰から別段たのまれたということもなく、まあ自分の発意《ほつい》から仲の善《よ》い友達同士が道楽半分にやり出した仕事ですから、別に小言《こごと》の出る心配もなし、晴れた大空へかんかんと金槌《かなづち》の音をさせて荒っぽく仕事をするので、どうも、甚《はなは》だ愉快で、元来、罷《まか》り間違えば自分も大工になるはずであったことなど思い出して独《ひと》りでに笑いたくなるような気持にもなったりしたことでありました。
段々と仕事の進むにつれて、大仏の頭部
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング