幕末維新懐古談
佐竹の原繁昌のはなし
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)下谷《したや》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)きまり[#「きまり」に傍点]
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下谷《したや》西町《にしまち》で相変らずコツコツと自分の仕事を専念にやっている中に、妙なことで計らず少し突飛《とっぴ》な思い附きで余計な仕事を遊び半分にしたことがあります。これも私の思い出の一つとして記憶にあること故、今日《こんにち》はその事を話しましょう。
その頃(明治十八年の頃)下谷に通称「佐竹原《さたけっぱら》」という大きな原がありました。この原の中へ思い附きで大仏を拵《こしら》えたというはなし……それは八角形の下台ともに高さが四丈八尺あった。奈良の大仏よりは一丈ほど小さいが、鎌倉の大仏よりよほど大きなもの、今日では佐竹の原も跡形《あとかた》なくちょっと今の人には想像もつかないし、無論その大仏の影も形もあることではない。夢のようなはなしではありますが、それがかえってはっきりと思い出されます。
私の住んでいる西町から佐竹の原へは二丁もない。向う側は仲
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