参るわけには行かない。それも自分で怠惰《なまけ》ていればとにかく、毎日精を出して一生懸命やって見て、やっと此所《ここ》まで来たのでありますから、どうも仕方がありません。

 といって日限が来たのですから、そのまま、打っちゃって置くわけには行かない。それに若井氏の心持も分って私もその厚志に感じてやっている仕事であるから、いずれにしろ、御返事をしなければならないが、返事をするとなると、申し訳をするよりほかない。訳を話して日限に間に合わなかったことをいって、以前受け取った手附けの金をお返しするよりほかはないのでありますから、私は考えを決め、二十一年の十二月の大晦日《おおみそか》の晩、手附けの金を懐《ふところ》にし(この金は封を切ったまま手箪笥《てだんす》の抽斗《ひきだし》に入れて手を附けずに置きました。万一間に合い兼ねた時、これがなくなっていては申し訳が立たないから)、荒彫りのまま、チャボを風呂敷に包み、てくてく南鍋町の若井氏の宅を訪ねました。
「その後はどうしました。時に、御願いしてあった鶏は出来ましたか」
というようなことになりました。
 私は、その後の製作の経過を物語り、とうとう日限に
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