幕末維新懐古談
鶏の製作を引き受けたはなし
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鶏《とり》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)京橋|南鍋町《みなみなべちょう》
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狆の製作が終ってから暫くしてふと鶏《とり》を彫ることになりました。
その頃京橋|南鍋町《みなみなべちょう》に若井兼三郎俗に近兼《きんかね》という道具商があった。この人は同業仲間でも好《い》い顔で、高等品を取り扱い、道具商とはいいながら、一種の見識を備えた人であった。またその頃、築地に起立工商会社という美術貿易の商会があって、これは政府の補助を受けなかなか旺《さか》んにやっておった。社長は松尾儀助氏で、右の若井兼三郎氏は重役といった所で、まあ松尾氏の番頭さんのような格でありました。この若井氏から私が鶏の彫刻を依嘱《たのま》れたのであった。
松尾氏も若井氏も共に美術協会の役員であったので、或る日の役員会に一同が集まっていました。旭玉山氏が来ていられたが、私は玉山氏からこの若井氏を紹介された。同じ会員の人でありながら、その時まで双方ともに一面識もなかったのです。
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