幕末維新懐古談
鶏の製作を引き受けたはなし
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鶏《とり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)京橋|南鍋町《みなみなべちょう》
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 狆の製作が終ってから暫くしてふと鶏《とり》を彫ることになりました。

 その頃京橋|南鍋町《みなみなべちょう》に若井兼三郎俗に近兼《きんかね》という道具商があった。この人は同業仲間でも好《い》い顔で、高等品を取り扱い、道具商とはいいながら、一種の見識を備えた人であった。またその頃、築地に起立工商会社という美術貿易の商会があって、これは政府の補助を受けなかなか旺《さか》んにやっておった。社長は松尾儀助氏で、右の若井兼三郎氏は重役といった所で、まあ松尾氏の番頭さんのような格でありました。この若井氏から私が鶏の彫刻を依嘱《たのま》れたのであった。

 松尾氏も若井氏も共に美術協会の役員であったので、或る日の役員会に一同が集まっていました。旭玉山氏が来ていられたが、私は玉山氏からこの若井氏を紹介された。同じ会員の人でありながら、その時まで双方ともに一面識もなかったのです。玉山氏が特に私を若井氏に引き合わせたことには理由があったのでした。

 これより先、若井氏は或る目論見《もくろみ》のために各種にわたった作品を各名手の人々に依嘱していたのであったが、蒔絵《まきえ》、彫金、牙彫のような製作はすべて注文済みとなり、作品も出来上がった物もあったが、ただ、一つ木彫りだけが残っていた。それで木彫りの方を誰に頼もうかということをその席で旭玉山氏に相談をされたのであった。
 玉山氏は木彫りの方なら高村光雲氏にお頼みすればよろしかろうと答えましたが、若井氏が少しも高村のことを知らないで、何処《どこ》にその人はいるかとの質問に、何処にいるかといってその人は協会員で来ておられるというと、では早速逢いたいというので、玉山氏が若井氏を私に紹介したようなわけです(このことは後で知ったことですが)。
 若井氏は私に逢うと、一つ木彫りをお頼みしたいのですが、詳しいことは拙宅でお話したいと思いますから、明晩お出《い》で下さるわけに行くまいかとの事。
 それで私は南鍋町の若井氏宅へ出掛けて行きました。

 道具商といっても若井氏の宅には商品などは店に飾ってはなく、立派なしもた屋である。
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