幕末維新懐古談
葉茶屋の狆のはなし
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)昇《のぼ》り切った

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二度|吃驚《びっくり》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)犬ころ[#「ころ」に傍点]
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 さて、鏡縁御欄間の仕事が終りますと、今度は以前より、もっと大役を仰せ附かりました。
 これは貴婦人の間の装飾となるのだそうで御座いますが、貴婦人の間のどういう所へ附いたものかその御場所は存じません。何んでも御階段を昇《のぼ》り切ったところに柱があってその装飾として四頭の狆《ちん》を彫れという御命令であった。
 これは東京彫工会へ御命令になったので、木彫りで出来るのではなく、鋳金《いもの》となって据えられるので鋳金の方は大島如雲《おおしまじょうん》氏が致すことになったが、原型の彫刻は高村にさせろという御指命で彫工会がお受けをしたのでありました。
 そこで、私は原型を木で彫ることになりました。およその下図は廻って来ましたが、今度は鏡縁欄間のような平彫りとは違って狆の丸彫りというのですから、下図に便《たよ》っているわけに行かない。まず何より第一番にモデルとする狆の実物を手に入れることが必要となって来ました。

 しかし、狆を手に入れるということは容易でない。狆なら鳥屋へ行っても何程《いくら》もあるが好いものは稀《まれ》です。もし好いのがあれば高価であるから私も当惑しましたが、以前用たしで浅草の三筋町《みすじまち》を通った時に或る葉茶屋《はぢゃや》になかなか好い狆がいたことを思い出したので、早速出掛けて行って見ると、店先にチャンとその狆はいる。それはなかなか狆らしい狆で、どうも好さそうに思われるので、それが欲しくなりましたが、葉茶屋では自慢にするほど可愛がっているらしいので、ちょっとどうするわけにも行きません。
 けれども、まず当って見ない分には容子《ようす》も分らないので、そんなに入用でもない番茶やお客用の茶などを買いまして、店先に腰を掛け、そろそろその狆を褒《ほ》め出したものです。可愛がっているものを褒められれば誰しも悪い気持はしませんが、細君《さいくん》が奥から出て来て講釈を初める。私は一服やって狆の話を聞きながら、細君があやしているその狆の様子を見ると、どうも、いかにも狆らしくて好さそうである。
 それで私は言葉を改め、
「実は、私は近日一つ狆を彫ろうというのですが、お宅の狆はいかにも種《たね》が好さそうで、これを手本にして彫ったら申し分なかろうと思うのですが、手本にするには手元におらないと仔細《しさい》な所を見極めることが出来ませんので、甚だ当惑している次第ですが、どんなものでしょうか、無躾《ぶしつけ》なお願いですが、この狆を一週間ばかり拝借することは出来ますまいか。もっとも狆の手当てはお習いして、決して疎略にはしません。一つ御無心をお許《き》き下さるわけには参りますまいか」
 こう私は申し込みました。
 すると、細君は大変驚いた顔をして私の顔を今さらのように眺めておりました。
「そうでございますか。貴方《あなた》が狆をお彫りになるのですか。でも、生物《いきもの》のことで、ちょっとお貸しするというわけにも参りませんよ。これはもう私の子供のようにして、こうして可愛がっていますんで、暫くも私の傍《そば》を離れませんので……」
というような挨拶《あいさつ》。
 どうも、ちょっと話が纏まりそうでないから、もう何もかも本当のことをいって頼むより仕方はないと思い、……もっとも、いよいよとなれば、そうする考えでもいましたので、私はさらに押し返して、
「……実はまだ詳しいことも申し上げず、いきなり狆を拝借したいと申しては籔《やぶ》から棒でさぞ変にお思いでしょうが、私は、今回、皇居御造営について、貴婦人の御間《おま》の装飾に狆を彫刻することをお上《かみ》の方から命令されましたので、そのため、いろいろ好い狆を見本に探《さが》しておりますようなわけで、貴店《こちら》の狆がいかにも狆らしく美事であると、平常《ふだん》からも思っておりましたので、今日、実はお立ち寄りして拝借を願ったような訳なので……」
と、話し出しますと、細君は二度|吃驚《びっくり》というような顔をしている。
「まあ、そうで御座いますか。皇居御造営になるとか申すことは私どもも噂《うわさ》で承知しておりますのですが、すると、貴君は狆を彫って貴婦人のお間へそれをお納めになるのですか」
「そうなんです。それで鳥屋へも二、三軒行って見ましたが、どうも気に入った狆がおりません。とても、貴店《こちら》のに比べると狆のようにも見えませんので……これが、その彫刻をして売り物にでもしますのなら、気に入
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