、一向処女というに変りはないことで、刀自の身上に何ら潔白を傷つける次第でもありませんが、御当人、およびその御良人《ごりょうじん》の存生中は善悪ともに他人のとかくをいうべきはずもないことと、実は口を緘《かん》しておったわけであります。
 が、今日はもはや、御両方《おふたかた》とも黄泉《こうせん》の客となられた場合、私がこのはなしをしたとて、さして差《さ》し閊《つか》えもないことかと思うばかりでなく、かえってこのはなしは、刀自の素性について世間の噂が全く間違って、飛んでもない悪名をつけるような有様になって、女中であるとか、芸妓をしていたとか、甚だしきは他人《ひと》のおめかけであったなど取りとめもつかぬ噂を立てるのを耳にもし、また目にもするにつけ、昔は旧お旗下の令嬢にて、立派に輿入《こしい》れをされ、また清く元の身のままにて里へ帰され、そうして、また立派に大隈家へ貰われてお出《い》でになった当時の事実を、知りながら黙っているより、今日を好機会として、この昔ばなしの中にはなして置くことは、間違いを矯《ただ》し、偽《うそ》を取り消すよすがともなろうと存じてかくは話をしたような訳であります。
 なお、因《ちな》みに、彼の柏木貨一郎氏は、後年、確か、某家の飛鳥山《あすかやま》の別荘へお茶の会に招かれての帰り途《みち》、鉄道のレエルに下駄の歯を取られ、あっという間に汽車が来て、無惨の最後を遂げられました。
 これは明治三十一年九月の事と記憶しています。

 また、三枝竜之介という方は、先年、私が、一、二度大隈邸へ招かれ参ったことのあった時、お玄関で一人の老人にお目に掛かったが、その方が竜之介氏であったことを記憶しております。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2007年1月8日作成
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