いで一つも拠処《よりどころ》がない。こういう噂は何処《どこ》から出たものか。察するに綾子刀自が大隈家へ嫁がれた時分は、ちょうど何もかも徳川|瓦解《がかい》の後を受けたドサクサの時代で、その頃の政治家という人たちは多くお国侍《くにざむらい》で、東京へ出て仮りの住居《すまい》をしておって、急に地位が高くなり政治家成り金とでもいうような有様で、何んでもヤンチャな世の中……殺風景なことが多く、したがってその配偶者のことなども乱暴無雑作なことがちで、芸妓《げいぎ》、芸人を妻や妾にするとか、女髪結の娘でも縹緻《きりょう》がよければ一足飛びに奥さんにするとかいう風であったから、こういう一体の風習の中へ綾子刀自のことも一緒に巻き込まれて、同じような行き方であったろうなど推測し、右のような噂が今日も伝えられるのであろうかと思われますが、これは全く大間違いであるのです。
という訳は、その因縁を話しませんと分りませんが、実は、私は、昔、綾子刀自の娘盛りの時代を妙なことで能《よ》く知っている。この事を話せばおのずから綾子刀自の素性が明らかになることで、何時《いつ》か、この事を何かのついでに話して置くか、書き
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