も、また、俵の左右の宝球のところにもまるで球《たま》のように旨《うま》く出たのであったので、それが縁喜が好いといって三枝氏が大層よろこんだのでした。
 この木の玉の出るのは、必ずしも偶然ではなく、木取りの仕様で、出そうと思えば出るものです。師匠は特にそういう風に作られたのですが、素人《しろうと》にはそういうことは分らないから、奇瑞《きずい》のようにも思われてよろこんだのでありました。すると、この大黒が出来上がって間もなく、妹御《いもうとご》のお綾さんが、時の大官大隈|重信《しげのぶ》という人の処へ貰われて大変に出世をされた。これは東雲師の彫った大黒の御利益《ごりやく》だといって三枝家の親類の人たちは目出たがって、自分たちもあやかり[#「あやかり」に傍点]たいものだと、二軒の御親類から、また、大黒を頼まれたが、この方は御利益があったか、私はそこまでは知りません。

 竜之介氏と妹御のお綾さんとの母親になる方は、その頃は未亡人で、頭を丸めてお比丘《びく》さんのように坊さんでしたが、そんなにお婆《ばあ》さんではありませんでした。俗にいう美人型の面長《おもなが》な顔で、品格といい縹緻《きりょう》といい、旗下の奥さんとして恥ずかしからぬ相貌《そうぼう》の方で、なかなか立派な婦人でありました。お綾さんも、母親に似てまことに美しかったが、もちっと丸顔であった。後に歳を老《と》られてからの写真を新聞などで見ても、やはり、その時の悌《おもかげ》がよく残っておって、母人《ははびと》よりも丸い方に私は思ったことだが……それはとにかく、三枝未亡人は、このお綾さんのことを心配されて、よりより師匠へ縁談のことについて相談をしておられました。
 或る時も三枝未亡人が駒形《こまがた》の師匠の宅へ見えられ、娘のことについて師匠に相談をされている。
「……今日では、もはや、武家、町人と区別《けじめ》を立てる時節でもなく、町家でも手堅い家であり、また気立ての好い人物《ひと》ならば、綾を何処《どこ》へでもお世話をお願いしたい。貴君《あなた》は世間が広いから、好い縁があらば、どうか、おたのみします」
など話しておられる(私はまだ小僧時代であるが、店のことや、奥のことも走り使いをしている時のことで、よくその消息を知っている)。それで、師匠もその事について心配をしておられました。

 ここにまた師匠の華客先《と
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