要件のことで師匠の意を受けてお使いをしたり、また師匠が妻君に話していること、時々、私に愚痴《ぐち》を洩《も》らされることなどで、この結婚が破れるのであろうということを予想しておりました。後に至っても偶々《たまたま》師匠が当時のことを私に話して、本当に媒酌人をするということは重大な責任のあることを語られましたが、この時の心配苦労の一通りでなかったことが推察されました。

 さて、その後、お綾さんが里へ帰られ、間もなく大隈さんへ貰われることになったのですが、この関係は私は知りません。また、師匠もこの時のことには立ち入っておりませんでした。しかし、或る日三枝未亡人が師匠宅へ見えられてお綾さんのその後のことについて話しておられました。
「……実は、綾のことですが、今度お国のお侍で大隈という人から是非|慾《ほ》しいというので、遣わすことに承諾しましたのですが、まるで娘を掠奪《さら》われるような工合で、私も実に驚きました」
と、愚痴交じりにいっておられた所を見ると、未亡人も承諾はしたものの、先方の行方《やりかた》が乱暴なので迷惑に感じたような口裏であった。
 これは一方は直参《じきさん》のお旗下で、とにかく、お上品で三指式《みつゆびしき》に行こうというところへ、一方は西国大名の中でも荒い評判の鍋島《なべしま》藩中のお国侍、大隈八太郎といって非常な論客で政治に熱狂していた志士の一人。その時は既に大官を得て出世しているとはいえ、万事が粗野放胆で婚儀のことなど礼節にかかわらず、妻を娶《めと》るは品物のやり取り位に思っていたであろうから、お品の好い御殿風な三枝未亡人を驚かしたも無理ならぬことと思われます。何んでも人力車《じんりきしゃ》に書生《しょせい》をつけてよこして、花嫁|御寮《ごりょう》を乗せて、さっさと伴《つ》れて行ったりしては、お袋さんも娘の出世はよろこんでも、愚痴の一つもいいたくなって、東雲師の宅へ出掛けてお出《い》でになったものと見えます。
 東雲師は、黙って話しを聴《き》いておられたが、
「なるほど、しかし、そりゃ仕方がありませんよ。東京の方と、田舎《いなか》の人とでは、どうも……」
など挨拶をしている。
「でもねえ、何んだか、私は不安心ですよ。綾が取って食べられそうな人なんで……」
「いや、御隠居様。今の世の中は、そういう男が役に立つのでございますよ。御安心なさいまし」
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