を知っていました。斎藤政吉といって同業者の間では名の売れた人であったが、この人が明《みん》製の白衣観音を持っておった。それは非常な逸品でもあるというので、斎藤氏が自慢に私に見せてくれた。見ると、自慢するだけのことはあってなかなか優れたものである。で、私もそれがほしい気がして、およそ、幾金《いくら》のものかと聞くと、百五十円だということ、薬代さえもようやく工面をして払った時代のことで、私に金のありよう訳でないから買い取ることは思いも寄りません。で、或る時、斎藤氏にとても自分はあの白衣観音を買うことが出来ぬが、作はいかにも結構と思い、心に残っている。もし、あれを借りることが出来れば、私はあの通りのものを写して置きたいと思うがどうであろう、と話すと斎藤氏は快く承知して私に貸してくれました。

 そこで私は仕事の隙々《ひまひま》を見て、桜の木で、そのままそっくりに模刻をした。そして右の観音を仏間に飾って置いたのでした。ふと、私はこの観音のことに気が附き、これを合田医師へお礼としてはどうであろうと思いました。随分自分としては精神を籠《こ》めて写したものである。写したとはいいながら原作が優れており
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