含されて、木の部に竹彫が入って木竹部となりました。牙彫の方は牙角介甲部となりその他種々部が出来て、今では十何部となってすべてを網羅《もうら》したのであるが、最初は牙彫だけで、木彫は一両人であったのです。
 かくの如く、種々網羅されるにつけて、会の性質が美術協会に似て来ましたが、しかし協会の方は絵画が中堅となっており、蒔絵、織物、刺繍《ししゅう》、写真など工芸的に一層範囲が広く、彫工会の彫刻と限られたのとはもっと広大なものになりました。そうして彫工会の方でも、金工部は金工会など独立して会を成立しますし、また協会の方でも蒔絵の方では漆工会などが独立して、種々雑多な会が現われて来ました。
 要するに、東京彫工会もまた当時美術界に貢献することの多かったことは美術協会に次いでの功績であったことと思います。
 同会は現在の会員数は八百名以上であります。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年12月22日作成
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