人々は旭玉山、石川光明、島村俊明、金田兼次郎、塩田真、前田健次郎、大森惟中、平山英造の諸氏で、事務所は仮りに玉山先生の自宅に置き、当分同氏が事務を扱ってくれました。そして井生村でこの会は二、三回催されました。

 こういう風に東京彫工会の成立が予期以上に盛大でありましたので、形勢全く一変し、東京の彫刻界を風靡《ふうび》するという有様で、会員は渦を巻いて集まって来て、三百人以上と称されました。
 そうなると、今度は谷中派の方からかえって和解を申し込んで来たりして、両派に関係のあった人たちを介して会員になりたいなど続々申し納《い》れがあったりしました。彫工会の方はもとより心から谷中派を敵視しているわけでないから、そういう要求は快く容《い》れましたので、谷中側の人も大分入会したような訳でした。
 先生側の人々が反抗態度を手強《てごわ》くし、歩調を揃《そろ》えて熱心に行動を取ったためにかえって好結果を来たしたような訳で、したがって両派の軋轢《あつれき》も穏便に済んだのでした。もっとも初めから喧嘩をしたわけではない。暗闘的ないさかいはあったが、見ともなく喧嘩するようなことはなくて終ったのであった
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