糾合し遊説して二百人からの人数《にんず》をこしらえまして、その組合というものを組織したのであった。
府の掛かりの方でも、牙彫界に幾人の人数が現在にあるものか、充分調べも附いていないので、谷中派の組織して出した願書を許可したのであった。すなわち谷中派の差し出した願書には二百人以上あるから、この人数は現在の彫刻師の人数の三分の二強であろうと掛かりの人は思っていたので許可したのでしょう。それとも、そういうことまで考えも及ばなかったのか。とにかく、谷中派のした仕事は通ったのであった。
そこで、組長、副組長は谷中派の大将株の両名がなることになって、規則書が出来上がったのである。ところが、それを見ると、親方の方の都合の好いようなことばかり並べてある。たとえば親方が弟子や職人を使うのに都合よいこと、つまり後進者を牽制《けんせい》する向きの箇条が甚《はなは》だ多い。年季中に暇を取るものは罰金を取るとか、或る親方から他に移り変るものは組合中使用せぬとか除名するとか、これから修業しようという弟子側に取っては不利益な規約ばかりである。こういうものが出来上がってそれを牙彫界一般に配附したのであります。これを手にした一流側の人々は大いに面喰《めんくら》ったわけでありました。しかし、旭玉山氏や石川光明氏とか、島村俊明、田中玉宝氏などいう人たちは名人|肌《はだ》な人で、別にこういう世間的のことには一向関係しないので、平生から自分の腕だけのものを作り、気位は高く、先生気取りの人たちであるから、ただ、変なことが初まったものだと思う位であるが、他には、そういう人ばかりでもないので、まず谷中派の人たちに出し抜かれた形で、一体これはどうしたものかと問題になったのであります。
元来、谷中派と先生派とこれに属する技術家とは技術に対する心掛けが違っているのであるから何にもこの際、弟子側のものを圧迫する必要も感じないし、またいろいろな規約の中に押し籠められる因縁もないと思っている。いわばなるだけ面倒な事には関係しないで仕事に励み忠実熱心である方ですから、こういう不条理な規約書が郵便で、各自《てんで》の許《もと》に舞い込んで来て見ると、甚だ迷惑に感じた。もし、不賛成を唱えるとなると、市中で職業が出来ないという。郊外へ退いて行かねばならないとなると、これは差し当って考え物である。さてそれが困るからといって規約
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