のです。
私は、それまでは世の中がどういう風に進んでいるのか、我が邦《くに》の美術界がどんな有様になっているのか、実の所一向知りませんのでした。また、実際そういうことを特に知ろうという気もありませんでした。ちょうどそれは第一回の博覧会があった当時、その事にまるで風馬牛《ふうばぎゅう》であったように、一向世の中のこと……世の中のことといっても世の中のことも種々《いろいろ》ありますが、今日でいえば美術界とか、芸術界とかいう方の世界のことは一切どんな風に風潮が動いているか、その方面のことは一向知らずにいたのであります。で、どういう会が出来ていて、どういう人たちが会合して、どんなことを話し合ったり研究しあったりしているかなどは、さらに知らない。ただ、自分の仕事を毎日の仕事として、てくてく克明にやっていたばかりであったのです。
ところが、明治十七年に初めて日本美術協会というものに或る一つの小品を高村光雲の名で出品しました。これがそもそもの私の世間的に自分の製作として公にした最初のことであった。今日までは全く蔭の仕事、人目には立たぬ仕事、いかに精力を振い、腕により[#「より」に傍点]をかけ
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