老人は日暮れ近くになって、ぶらぶらと帰って来られる。取れた儲けの中から、お土産《みやげ》などを買って……手間と元手も実はもうそのお土産になってしまうこともあるが、それでも老人は万と儲けたような気分、「今日はなかなかおもしろかった」といって罪なく笑壺《えつぼ》に入っている所はまことに人の好いもので、私たち夫婦は、つい貰い笑いをして、
「お父さん、折角儲けたのをみんなお土産にしてしまってはお気の毒ですね。それでは商売にならないでしょう」
などいうと、
「何、先方が馬鹿に俺《おれ》の趣向をおもしろがって買ってくれるんだ。儲けなくても、それだけでも気保養だのに、こんなお土産が買えて、まだ少し位残った所などは感心じゃないか」
など、何処までもお人柄な隠居気質。こういうところは、生馬《いきうま》の目を抜くような江戸の真ん中で若い時から苦労ずくめの商売をした人のようでもなく、どうかすれば歌俳諧でもやるような塩梅《あんばい》でありました。それに、おかしいのは、老人のこの新案の葦のおもちゃ[#「おもちゃ」に傍点]は極《ごく》日中はいけないのでした。薄曇った日とか、朝夕位のところでないと、葦の若葉がし
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング