、御成道《おなりみち》の大時計を右に曲って神田明神下の方へ曲る角の、昌平橋《しょうへいばし》へ出ようという左側に、その頃横浜貿易商で有名な三河屋幸三郎、俗に三幸という人の店であった。
私は、迂闊《うっかり》していたことをおかしく思いながら、通されて逢うと、幸三郎老人はなかなか話が分る。そのはずで、この人は維新の際は彰義隊に関係したという疑いを受けたこともあり、後、五稜廓《ごりょうかく》で奮戦した榎本武揚《えのもとたけあき》氏とも往来をして非常な徳川|贔負《びいき》の人であって剣道も能く出来た豪傑、武士道と侠客肌《きょうかくはだ》を一緒につき混ぜたような肌合いの人物で、この気性で、時勢を見て貿易商になっているのであるから、なかなか、話も分るわけである。
そこで、老人のいうには、
「私がお頼みしたいというのは、貿易品にする種々の器具の型彫りをしてもらいたいのであるが、今日まで、普通、下絵を絵師にかけてやっているが、どうもおもしろくない。やはり、初手《しょて》から彫刻師の刀にかけ、彫刻師自身の意匠で型を彫ってもらいたいのだが、一つ勘考して頂きたい。型彫りというものは、鉄へ反対にメガタに彫
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