幕末維新懐古談
牙彫りを排し木彫りに固執したはなし
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)誡《いまし》められた
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「いやしくも仏師たるものが、自作を持って道具屋の店に売りに行く位なら、焼き芋でも焼いていろ、団子でもこねていろ」
 これは高橋鳳雲が時々私の師匠東雲にいって聞かせた言葉だそうであります。
 私もまた、東雲師から、風雲はこういって我々を誡《いまし》められた、といってその話を聞かされたものであります。それで、私の脳《あたま》にも、この言葉が残っている。いい草は下品であっても志はまことに高い、潔い。我々仏師の道を伝うるものこの意気がまるでなくなってはならない。心すべきは今である……とこう私も考えている。それが私のおかしな意地であったが、とにかく、象牙彫りをやって、それを風呂敷《ふろしき》に包んで牙商の店頭へ売りに行くなぞは身を斬《き》られても嫌《いや》なことであった。が、さればといって木彫りの注文はさらになく、注文がないといって坐って待ってもいられない。かくてはたちまち糊口《ここう》に窮し、その日の生計《くらし》も立っては行かぬ。サテ、困
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