ったものだと、私も途方にくれました。
 しかし、いかに困ればといって、素志を翻すわけには行かぬ。そこで私は思案を決め、
「よし、俺は木で彫るものなら何んでも彫ろう。そして先方《むこう》から頼んで来たものなら何でも彫ろう」ということにしました。で、木なら何んでも彫るとなると、相当注文はある。注文によってはこれも何んでも彫る。どんなつまらないものでも彫る。そこで、洋傘の柄《え》を彫る。張子《はりこ》の型を彫る(これは亀井戸《かめいど》の天神などにある張子の虎などの型を頼みに来れば彫るのです)。その他いろいろのものを注文に応じて彫りましたが、その代り今年七十一(大正十一年十二月)になりますが、ついに道具屋へ自作を持って売りに行くことはしないで終りました。

 こういう風で、この当時は、私の苦闘時代といわばいって好い時であった。
 前に申す如く、西町の三番地の小さな家の、一間は土間《どま》、一間は仕事場で、橋を渡って這入《はい》れば竹の格子《こうし》があって、その中で私はコツコツと仕事をやっていた(通りからは仕事場が見えた)。
 すると、或る日、前に話した袋物屋の、米沢町の沢田銀次郎が訪ねて来
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