することなどは思いも寄らぬ。
 しかし、西洋の彫刻を西洋人の教師から習っているということは、聞くだけでも羨望《せんぼう》に堪えぬわけでありますから、何かにつけ、その噂を聞くことさえも心が惹《ひ》かれるのでありましたが、或る人の話に、工部学校では、木彫りはやらないのだそうな。何んでも「脂土《あぶらつち》」といって幾日|経《た》っても固まらない西洋の土を使って実物を写すので、その土は附けたり、減らしたり自由自在に出来るから、何んでも思うように実物の形が作れる。そうして今度は、その出来た原《もと》の形へ「石膏《せっこう》」という白粉《おしろい》のような粉を水に溶いたものを被《かぶ》せ掛けて型を取るのだそうな。だから非常に便利で、かつ原型そっくりのものが出来るということだ。というようなことを聞きます。けれども、実際、どういうことをやっているのか、実地を見るわけに行かないが、話に聞いただけでもどうも甚だ都合が好さそうに思われる。かねてから、私は木彫りというのはちょっと不自由な所があることを考えていた。それは、木彫りは一度肉を取り過ぎると、それを再び附け加えることは出来ない。この不自由なのに反して
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング