なった(その頃は貿易といわず交易といっていた)。しかし、従前通りの手法《やりかた》で仏様を長くやっていたこと故、その習慣上貿易品向きのものを製作するとしても、どうしても仏様臭くなってしようがない。仏様を作るには仏様臭いのは仕方もないが、貿易品的のものに仏臭のあるのは面白くない。どうかしてこの仏臭を脱して写生的に新しくやって見たいものだということが私の胸に浮かんで来ました。
 もっとも、この考えは今さらのことでなく、私の年季中から既に芽差していたことで、何かにつけ心掛けてはおりましたが、いよいよ社会の要求に駆られるようになって見ると、事実その写生的に行く方のやり方を実行して見たくなったのであります。すなわち、私自身としては自分の製作の態度や方法を一変して新しくやって見ようという心を起したのであります。
 そこで、まず差し当っては、何をその研究の資料にするかというと、従来のお手本とは全く違った方面のもので、たとえば、西洋から輸入して来たいろいろの摺《す》り物、外字新聞の挿画《さしえ》のようなものや、広告類の色摺りの石版画《せきばんが》とか、またはちょっとした鉛筆画のようなもの、そういうもの
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